大人がライナスの毛布に癒されることは問題だろうか?
まさか僕にも?身近な症候群の話
以前僕は弟の体験を基にこんな記事を書いた。
yogotoyomaigoto.hatenablog.com
記事を書くにあたり色々と「症候群」について調べていた。
その時は全く気付かなかった。
きっかけは僕の息子だった。
彼はタオルケットに包まることを至上の幸福としていた。
僕も幼少時、タオルケットを手放せないこどもだった。
そして、今でもタオルケットに対する執着は人並み以上だと思う。
また、息子と僕がタオルケットに望むコンディションも似通っていた。
僕らにとって洗濯直後のタオルケットは仕上がっていない状態だ。
使い込んで程よい柔らかさに仕上げる必要がある。
そして、タオルケットは冷たいほうがより良い状態とされていた。
タオルケットに対する僕と息子のこだわりに妻は全く共感できないようだった。
そこでようやく僕はこの感覚が当たり前のものではないことに気付いた。
早速調べてみると結果は予想通り。
僕らのタオルケットに対する執着心は「ブランケット症候群」と呼ばれるものらしい。
「ブランケット症候群」には「ライナス症候群」という別名がある。
ライナスとはチャールズ・M・シュルツによる漫画「ピーナッツ」の登場人物、
ライナス・ヴァン・ペルトのことだ。
「ピーナッツ」といえばチャーリー・ブラウンやスヌーピー、ルーシーといった
個性的なキャラクターが登場する世界中で愛されている作品。
その作品の中でライナスは青い毛布を肌身離さず持ち歩いており、取り上げられると
パニックになってしまう、そんなキャラクターとして描かれてる。
ブランケット症候群の大人はたくさんいる?
僕らはライナスほど極端ではないが、「ブランケット症候群」の傾向があるという
ことは間違いなさそうだ。
それを認めると同時に僕は少し心配になった。
それは「ブランケット症候群」は幼児性の表れのように思えていたからだ。
確かに僕はピーターパンシンドローム気味ではあるが、自立して生計を立て、
社会生活を送っている「大人」だと自分では思っていた。
それは思い込みなのか?
結論を言うと「ライナスの毛布」のような対象を持つ大人は大勢いるようだ。
「傍にあると安心な物事」は人によって様々なようで「ぬいぐるみ」や
「クッション」といった感触の良いものだけではない。
「スマートフォン」も「煙草」も「恋人」も「ライナスの毛布」になりえるのだ。
そう考えるとあなたにも心当たりがないだろうか。
「ライナスの毛布」は心の盾
「ライナスの毛布」は心理学的には「移行対象」と呼ばれる。
移行対象とはイギリスの精神分析医ドナルド・ウィニコットが提唱した
概念であり、乳幼児が特別の愛着を寄せるようになる、毛布、タオル、
ぬいぐるみなど、おもに無生物の対象をいう。
(中略)
その主たる機能は、母親との分離など、ストレスフルな状況で、母親や
その乳房の象徴的代理として、子の情緒を静穏化するところにあると
される。
出典:移行対象 - Wikipediaより
つまり幼児期における「ブランケット症候群」は母親との分離など成長過程に
おける精神的不安を抑制するために起きることが多い。
では、大人が「ライナスの毛布」を必要とするのは何故か?
きっと理由は幼児期と変わらないだろう。
みんな精神的不安、ストレスを抱えて生きている。
「ライナスの毛布」はストレスから身を守る盾になるならそれで良いと思う。
もし、日常生活に支障を及ぼすほど「ライナスの毛布」に執着しているのであれば
その行動を止めるのではなく原因となる精神的不安を取り除かなくてはならない
ということだ。
調べているうちに社会に対する問題提起みたいになってしまったが、
自分の癖や嗜好のようなものによもや名前が付いているとは思いもしなかった。
きっと
「本屋に行くとトイレに行きたくなること」
「歌の一部分が頭から離れないこと」
「自分の気になったものがやたらと目に付くこと」
なんかにも名前は付いてたりするんだろうな。